
隅田川の花火大会は日本最古の花火大会です。
※隅田川花火大会の歴史
江戸時代、徳川幕府8代将軍・徳川吉宗
1733年
慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に「水神祭」を実施し、その時に花火を打ち上げたのが、花火大会の起源と言われています。
当時の隅田川花火大会(両国の川開き)(の
打ち上げは、最初期は「鍵屋」(かぎや)が担当しました。
歴史は、玉屋より鍵屋のほうが古く、鍵屋の創業は1659年。
7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が、暖簾分けで、1808年に玉屋を創業し、2業者体制となり、鍵屋と玉屋の双方が腕を競いあっていました。
鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げました。
このため、観客は、双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名を呼んだのです。
これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれています。
老舗は「鍵屋」ですが
当時評判がよかったのは「玉屋」の方で、
「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、「玉屋」の掛け声ばかりで「鍵屋」の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もあります。
ところが、
「玉屋」は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、江戸処払い(追放)を命じられ、1代限りで断絶してしまいました。
一方の「鍵屋」は、日本最古の花火会社「株式会社宗家花火鍵屋」として現存しています。
それまで難しい技術とされていた、同心円状に飛散する花火を明治期に及させたのが鍵屋です。
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