
隅田川花火大会の歴史
江戸時代1732年
徳川幕府8代将軍・徳川吉宗
大川端(現在の隅田川河畔)で催した「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)
1733年7月9日(享保18年5月28日)
江戸幕府は、前年にならって「川施餓鬼」とあわせ、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に「水神祭」を実施しました。
その際に花火を打ち上げたのが、花火大会の起源とされます。
この当時は20発前後の花火で、かなりのんびりとしたものでした。
隅田川の花火大会の起原です。
両国川開きの花火は、「明治維新」や「第二次世界大戦」など数度中断した。1961年から1977年まで、交通事情の悪化や、隅田川の水質汚濁による臭害等により中断しましたが、
1978年に「隅田川花火大会」に名前を変えて復活し、以後毎年続けら今に至っています。
2011年は東日本大震災の影響で都内の花火大会が次々と中止を決める中、東京都副知事「猪瀬直樹」が8月27日に日程を変更して開催しました。第20回大会(1997年)に雨天による延期、第36回大会(2013年)は、雨天および強風により開始30分足らずで中止した例があります。(途中中止となったのは2013年が初めて)
花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声も隅田川の花火大会からです。
⇒たまやー!かぎやー!について
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